今日の昼食後も、まったりと
スペシャリティコーヒーを
味わおうと・・・が一転!?
結果的に細々した文字を
追うはめとなり、毎度ながら
「セカビン」に陥りました。
ただ、決して先ほど試飲した
スペシャリティコーヒーの
せいではございません。
(失礼)
*ただ、お陰で細かな字にも
ウトウトすること無く感謝。
(途中までは)

事の発端は、ついコーヒーの
「珈琲」との漢字の由来などを
調べようとしたことから。
コーヒーのことなら、
やはりスペシャリストによる
書を目にしなければ〜です。
〜で、載ってません!?
ただ、ここら辺の記述から
コーヒーの当て字の1つとして
「可否」もあったようです。
さて、ここからが大変で・・・

最終的には、田野村忠温氏
(大阪大学大学院人文学研究科
基盤日本語学講座教授)の
『音訳語「珈琲」の歴史』を読む。
(阪大日本語研究 / 第33号・2021年)
*コーヒーの名称の漢字表記
「珈琲」は日本で作られたと
多くの言語研究者が言う。
そして、その考案者を蘭学者の
宇田川榕庵として特定する説まで
あり、通俗書やインターネットを
通じて広く流布している。しかし、
そうした通説、俗説はすべて
正当な根拠を欠く想像に過ぎない。
言語の歴史を想像に頼って論じる
ことはできない。ここでは、資料の
調査と分析に基づいて「珈琲」という
表記の現在確かめ得る最初期相を
明らかにするとともに、それがその後
日中両国でたどった歴史を跡付ける。
*この改訂版を次の著書の一部として出版↑
『近代日中新語の諸相』(和泉書院、2023年)
この論文を読んだおかげで
目がショボショボ状態。
先に飲んだコーヒー2杯の
カフェも切れかけです。
で〜論文の注釈に書かれた
「早稲田大学古典籍総合データベース」
にもアクセスしてみて、
早稲田大学図書館蔵とされる
『宇田川榕庵の蘭和語彙集』の
チェックを試みましたが、
ここでダウン・・・
ダウンついでで、論文に
書かれる「通説や通俗」をご紹介。
その他、各コーヒー会社などの
サイトでも同じような逸話や
由来が「もっとも」らしく
品のある内容で書かれてます。
そんな美談にしたいのか・・・
結局は「分かりやすさ」から
Wikipediaをザックリ引用します。
これらのことを総合しても
何となく言えることは、
〜くらいでしょうか。
これだけの人物であれば、
ご自身で「珈琲」の漢字を
発案されておれば、ちゃんと
書物とかに残されるでしょう。
どうも「当て字」の域を超えず、
他の「和製漢語」まで至らず。
(若干、失礼)
それにしても、印刷技術が
発展していない当時なら、
「珈」と「琲」と画数の多い
漢字を2つ並べるよりも
「加非」で収めておけばと。
また、私のような乱筆にとって
後々の苦労も半端ない?

*カフェイン不足となり、
コーヒーを追加しました。
(インスタントで失礼)
スペシャリティコーヒーを
味わおうと・・・が一転!?
結果的に細々した文字を
追うはめとなり、毎度ながら
「セカビン」に陥りました。
ただ、決して先ほど試飲した
スペシャリティコーヒーの
せいではございません。
(失礼)
*ただ、お陰で細かな字にも
ウトウトすること無く感謝。
(途中までは)

事の発端は、ついコーヒーの
「珈琲」との漢字の由来などを
調べようとしたことから。
コーヒーのことなら、
やはりスペシャリストによる
書を目にしなければ〜です。
『教養としてのコーヒー』
井崎英典・著
(SBクリエイティブ出版)
◆第1章 コーヒーをたどると
世界史が見える
◇日本人とコーヒーの出会い
1804年には、文人でもある
【蜀山人(しょくさんじん):
「べらぼう」にも出る大田南畝の別名】が、
随筆『瓊浦又綴(けいほゆうてつ)』へ
日本でもっとも初期の頃にコーヒーを
飲用したことを記す(一部、Wikipediaより)
▼「ステラ」べらぼうインタビューより▼
◇早すぎた「可否茶館」
日本で最初にオープンしたカフェ
【可否茶館(かひさかん)】。
1888年4月13日、東京上野にて、
創始者は鄭永慶(ていえいけい)。
4年後に廃業。
*この4月13日は「喫茶店の日」
◇銀ブラの語源は喫茶店だった!?
「ブラジル移民の父」である
実業家・水野龍が、東京銀座に
【カフェパウリスタ】を
1911年にオープン。
関東大震災でいったん閉店。
コーヒーの輸入・焙煎業を
種に切替え。戦時下には
当局の指示により、横文字の
社名を日東珈琲(株)に名称変更。
その後1970年に復活。
*以上はザックリ要約です。
〜で、載ってません!?
ただ、ここら辺の記述から
コーヒーの当て字の1つとして
「可否」もあったようです。
さて、ここからが大変で・・・

最終的には、田野村忠温氏
(大阪大学大学院人文学研究科
基盤日本語学講座教授)の
『音訳語「珈琲」の歴史』を読む。
(阪大日本語研究 / 第33号・2021年)
*コーヒーの名称の漢字表記
「珈琲」は日本で作られたと
多くの言語研究者が言う。
そして、その考案者を蘭学者の
宇田川榕庵として特定する説まで
あり、通俗書やインターネットを
通じて広く流布している。しかし、
そうした通説、俗説はすべて
正当な根拠を欠く想像に過ぎない。
言語の歴史を想像に頼って論じる
ことはできない。ここでは、資料の
調査と分析に基づいて「珈琲」という
表記の現在確かめ得る最初期相を
明らかにするとともに、それがその後
日中両国でたどった歴史を跡付ける。
*この改訂版を次の著書の一部として出版↑
『近代日中新語の諸相』(和泉書院、2023年)
この論文を読んだおかげで
目がショボショボ状態。
先に飲んだコーヒー2杯の
カフェも切れかけです。
で〜論文の注釈に書かれた
「早稲田大学古典籍総合データベース」
にもアクセスしてみて、
早稲田大学図書館蔵とされる
『宇田川榕庵の蘭和語彙集』の
チェックを試みましたが、
ここでダウン・・・
ダウンついでで、論文に
書かれる「通説や通俗」をご紹介。
◆「珈琲」という漢字は
津山藩(岡山県津山市)の蘭学者
・宇田川榕菴が考案したものだった
→ その由来がとても素敵
そう言えば「珈琲」と言う漢字は、
津山藩の蘭学者 宇田川榕菴
(うだがわ ようあん)が発案したもので、
コーヒーの赤い実がかんざしに似ていた
ので、髪に挿す花かんざしの意味の「珈」と、
かんざしの玉を繋ぐ紐の意味の「琲」を
合わせて「珈琲」と名付けたんだとか。
なんだか美しい名前だな・・・
*Togetterより。
◆コーヒーを漢字で「珈琲」と書くのはなぜ?
*中日新聞(2023年3月13日 )より
その他、各コーヒー会社などの
サイトでも同じような逸話や
由来が「もっとも」らしく
品のある内容で書かれてます。
そんな美談にしたいのか・・・
結局は「分かりやすさ」から
Wikipediaをザックリ引用します。
◆コーヒー
【語源】
中国で現在使われている「咖啡」の
現在知られている最も古い記録は
『華英辞典』(1819年)である。
中国の文献での王偏の「珈琲」の
現在知られている最も古い記録は
『海国図志』50巻本(1844年)である。
なお、中国語においても、訳語に関して
19世紀に試行錯誤があったとされるが、
現在では口偏の「咖啡」(kāfēi)と
よく表記される。
日本では漢字で「珈琲」のほか
「可否」「架非」「加非」「咖啡」などの
字も当てられてきた。
当て字「珈琲」の知られている
最も古い日本の資料は、江戸時代末期の
医蘭者宇田川榕菴(1798年 - 1846年)
自筆の『蘭和語彙集』(年代不詳)である。
これ以外にも、「可否」(可否茶館)、
「カウヒイ」(大田南畝『瓊浦又綴
(けいほゆうてつ)』)、
「哥非乙」(宇田川榕菴『哥非乙説』)
などの表記も過去には用いられた。
「珈琲」が宇田川榕菴による造語とする俗説がある。
この俗説の初出は奥山儀八郎編「日本珈琲文献略解(七)」
『長崎談叢』第27輯(長崎史談会)(1940年)である。
「珈琲という字はコーヒーノキの枝を
女性の髪飾りにたとえたものである」
という解釈もまた、奥山によるものである。
これらのことを総合しても
何となく言えることは、
「江戸時代末期の
医蘭者:宇田川榕菴により、
(うだがわ ようあん)
コーヒーを備忘録的に
記された中の1つに
【珈琲】があった。
それが日本初とされるが、
どこで聞き知ったか、
または由来など定かではなく、
意味は後付けされたよう」
〜くらいでしょうか。
これだけの人物であれば、
ご自身で「珈琲」の漢字を
発案されておれば、ちゃんと
書物とかに残されるでしょう。
どうも「当て字」の域を超えず、
他の「和製漢語」まで至らず。
(若干、失礼)
それにしても、印刷技術が
発展していない当時なら、
「珈」と「琲」と画数の多い
漢字を2つ並べるよりも
「加非」で収めておけばと。
また、私のような乱筆にとって
後々の苦労も半端ない?

*カフェイン不足となり、
コーヒーを追加しました。
(インスタントで失礼)


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