明けまして
おめでとうございます。
2019年は
ランチェスターで
足腰の強い会社作りを!

*決して「2019年」だけ
ではありませんが・・・
(今年の年賀状を参照)
また、以下は境内に
掲げられてましたが、
サイトでも確認できます。
なお、文中の★(↑上記)
足が治った場所には、
和気清麻呂自身が治った
ことに感謝して創祀した
【足立山妙見宮(御祖神社)】
があります(北九州市小倉北区)。
「足立山」の山号は足が治った
ことに由来するとか。
*ただ、私が前々職時代に、
その足立山麓公園付近で
社有車を駐めて昼寝してた
ことは内緒(既に時効?)
おめでとうございます。
2019年は
ランチェスターで
足腰の強い会社作りを!

*決して「2019年」だけ
ではありませんが・・・
(今年の年賀状を参照)
京都御所西【護王神社】
(足腰の守護神)
平安京の建都に貢献
された和気清麻呂公
(わけのきよまろこう)
をお祀りしている神社。
和気清麻呂が宇佐へ
配流の際に、道鏡から
送り込まれた刺客に
襲われたのを、突如
現われた300頭の猪に
よって難事を救われた
・・・との伝説から、
明治23年(1890年)
から狛犬の代わりに
「狛猪」が置かれており、
「いのしし神社」の
俗称もある。
日本銀行券として
かつて発行されていた
十円紙幣は、1890年から
1945年まで発行されたのは
一貫して和気清麻呂と
護王神社が描かれた。
そのうち、1890年に発行
されたものは表面の
枠模様の中に8頭の
小さな猪が描かれ、
さらに1899年に発行
されたのは裏面に
大きな猪が1頭描かれた。
*Wikipediaなどから要約抜粋
また、以下は境内に
掲げられてましたが、
サイトでも確認できます。
和気清麻呂公とイノシシ
(わけのきよまろこう)
奈良時代・称徳天皇の御代のこと。
弓削道鏡(ゆげのどうきょう)
という僧が法王となって絶大な
権力を振るっていました。
やがて道鏡は、
天皇の位も奪おうと考え、
「『道鏡を天皇にすれば
天下は平和に治まる』
と宇佐八幡よりご神託
(神様のお告げ)があった」
と天皇にウソを言います。
天皇は、
ご神託が本当なのか迷いました。
そこで、和気清麻呂公を呼び、
九州の宇佐八幡へ行って
確かめてくるよう命じました。
清麻呂公は宇佐八幡へおもむき、
ご神前に出て
「真意をお教えください」
と叫びました。
すると、
光り輝く宇佐の大神が現れ、
「天皇の後継者には
必ず皇族のものを立てなさい。
道鏡のような無道の者は
早く追放してしまいなさい」
とご神託を下されました。
清麻呂公は都へ戻り、
大神のご神託を天皇に報告しました。
野望をくじかれた道鏡は激しく怒り、
清麻呂公の足の腱を切った上、
大隅国(鹿児島県)への流罪
(るざい)としてしまいます。
さらには、大隅国へ向かう
清麻呂公を襲わせるために
刺客を放ちました。
足の腱を切られ、立つことすら
できなくなった清麻呂公ですが、
皇室を守った大神に感謝するため、
宇佐八幡へ立ち寄ることにしました。
そして、一行が豊前国(福岡県東部)
に至ると、どこからか三百頭もの
イノシシが現れました。
イノシシたちは清麻呂公の
輿(こし=乗り物)の周りを囲み、
道鏡の刺客たちから守りながら、
十里(約40km)の道のりを
案内してくれたのです。
清麻呂公が宇佐八幡での
参拝を終えると、
イノシシたちは
どこかへ去っていきました。
★不思議なことに、
清麻呂公の足の痛みは治り、
再び歩けるようになっていました。
一年後、称徳天皇の
崩御(ほうぎょ)によって、
道鏡は関東へ左遷されます。
都へ呼び戻された清麻呂公は、
時の天皇の信頼を得て活躍し、
晩年まで世のため
人のために尽くしました。
清麻呂公の立派な人柄と、
彼を守ったイノシシのお話は、
後世まで語り継がれる
こととなりました。
清麻呂公を祀る護王神社には、
狛犬の代わりに狛イノシシが
建てられ、今も清麻呂公を
護り続けています。
なお、文中の★(↑上記)
足が治った場所には、
和気清麻呂自身が治った
ことに感謝して創祀した
【足立山妙見宮(御祖神社)】
があります(北九州市小倉北区)。
「足立山」の山号は足が治った
ことに由来するとか。
*ただ、私が前々職時代に、
その足立山麓公園付近で
社有車を駐めて昼寝してた
ことは内緒(既に時効?)
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