ゴールデンウィーク中の読書の延長で、
今、読んでいる池谷裕二氏
中村うさぎ氏の対談本、

脳はこんなに悩ましい

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「限界ギリギリ、超アダルトな脳科学」
とのことで、「ペニスの長さ」についてなど、
いろいろと取り上げたい内容も多いの
ですが(いや、このブログでは自粛)、
この中で「英語脳と日本語脳」から。
(一般的な「英語脳と日本語脳」とは異なる)

「小さな頃から無人島に自分1人しか
いなかったら、心は生まれなかった」
の説明の延長で(一部、要約して抜粋)、


日本語は「我」の存在感が弱く、加えて
日本語には「見える」「聞こえる」という
独特の表現法があります。「私」という
主体者がスッポリ抜け落ちている。

物体の方に意志があって、勝手に目や
耳に飛び込んでくる感じです。

日本語を勉強する外国人は、
この言語感覚に戸惑うようです。

主語が抜けることで、責任を転嫁できる。

私たちは実験で毎日のように、神経細胞に
電極を刺して記録します。刺し方を失敗
すると細胞が破裂して死ぬのですが、
そのとき学生たちは
「先生、死んじゃいました〜」と。

米国に留学したばかりの渡すがビックリ
したのは、実験で同じように失敗した時、
あちらの学生は
「I killed it.」と言う。

「私が殺した」と主語を明確にする。
能動的です。


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この点で思い当たるのが、無責任な社長に
よって、その会社が倒産してしまった際に、

会社が潰れました

と、その社長でさえ言い放つバカらしさ。

倒産まで行かなくとも、業績が思わしく無い
ことを、何かと世のせい・地域のせい・
政治のせい・他人のせいにする、
そういう姿や声を目&耳にします。
先日の「スカイツリー1周年」の際でも、
同じような感じだった気がします。

これは、日本人特有なんでしょう。

そう考えれば、私から無理強いせずに、
自主的に「勉強しよう」と思う人と
接するのも正解だと言えよう。

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・・・諸行無常の響きあり