先週、久留米市まで足を運ぶ途中で、
鳥栖市内以前から確認しに行きたかった
場所へ、時間を見つけて行ってきました。

「地域戦略」DVDで「陶山訥庵の戦略」を
竹田先生が説明する中で、
物差しを用いて長崎県の対馬を指しつつも

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鳥栖市を指して「当時は飛び地だった」↓

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とのことを確認できる田代代官所跡を巡る〜
とまで行かなかったですが見てきました。

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まずは、現在の鳥栖市田代小学校校庭にある
田代代官所跡の立て看板をチェック。

立て看板に書かれた文章を確認すると、

−−−−−−−−田代代官所跡−−−−−−−−−−−

江戸時代、鳥栖市の東半分は対馬藩領でした。
対馬藩は田代領を治めるために代官所を設置し役人を
派遣しました。田代上町に所在する西清寺の記録によ
ると元和年間(1615〜1624年)に建築されたと思わ
れます。
 「御勘定所田代覚書」には代官所の建物は田代上町
にあり「御屋敷」と呼ばれていたことが書かれていま
す。また、長崎街道に沿って南面し、表間口が四八間、
奥行きは東八二間、西七七間、裏は六八間の広さであ
ったことがわかっています。
 田代代官所は嘉永4年(1851年)に改装されたこと
が記録に残っています。この指図はその時の設計図に
当たるものと思われ、弘化4年(1847年)の作成と考
えられます。指図には全部で60の部屋が記されていま
す。また、建物の一部は2階建てになっていたようです。
 指図の本家は代官は公務を行った建物で、中庭の奥
は住まいとして使われていました。
 この地に、享保9年(1724年)の指図も現存してお
り、これらの指図は平成11年に鳥栖市重要文化財(歴
史資料)に指定されました。

                  鳥栖市教育委員会

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−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

そのまま足下にまで目をやると、

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長崎街道
 ↓稽古所 東明館の前進」

とのことで、その矢印の先を見ると、

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旧・対馬藩校東明館跡入口」と
掘られた石碑が立っていました。

入口があるなら、他にも何かあるはず
と思い、そのまま路地を進んでいくと、

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先ほどと似たような石碑が、
何か括り付けられて立っていました。

その石碑に近づき、何が括り付けられて
いるかを見ようと思った瞬間、
後ろから何か気配を感じました。

でも何もありません。
あるのは無数の看板だけ。

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ですが看板を、よ〜く見てみると
「ビデオカメラで撮影してます」と。

直ぐ側には「サロンパス」と書かれた
久光製薬の工場があります。

そのサロンパルの香りが漂う中で、
途中からの行動を監視カメラで
撮られていたと思うと恥ずかしくなり、
その場から逃げ去りました〜失礼しました。
(途中からずっと鼻を摘んでました)