昨日のブログ「私は美人でございます」の最後に記した、
「顧客戦略」DVDで、「第3章・感謝は態度で示せ」、
その「感謝の心を育てる」の途中で、
(分かりやすく、内容に若干の加工をしてます)
・「感謝」と書くのが感謝ではない。
自分の事ばかりを言ったり書いたり撮ったりして、
最後に「感謝しかない」と締める人がいるが、
これは本当の意味での感謝ではない。
そのことと通じるような内容が、最近何度も精読している
「考えない練習/小池龍之介・著」に、
「現代日本に蔓延する“ありがとう病”は心を歪ませる」
と。。。(「関心空間」でも紹介されてます)
−−その一部を抜粋すると−−−−−−−−−−−−
「ありがとう」と思ってもいないのに「ありがとう」と思う
のは、嘘をついていますから、心が歪むだけです。
こうした自己洗脳の状態にはまってしまって、心の込もって
いない「ありがとう」を連発すればするほど、周りの人には
「この人は特に感謝していなくても、とにかくありがとうと
言う人なんだ」と思われてしまうことでしょう。
経典の中には、ブッダが弟子たちに「ありがとう」と
感謝している記述は(たぶん)ありません。それと同様に、
謝っている記述も見当たりません。
感謝の気持ちを相手にきちんと伝えるには、単に
「ありがとう」と言うのではなく、感謝の言葉の
バリエーションを増やすと伝わりやすくなります。
「ありがとう」という言葉を使わずに感謝の意を伝える
工夫を凝らすと、先方にも気持ちが伝わりやすくなります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
なお、この本には脳研究者・池谷裕二氏との対談も収録。
しかも、この小池龍之介氏は山口県の正現寺副住職、
東京都世田谷区の月読寺住職として修行を積む現役僧侶。
お寺とカフェの機能を兼ね備えた「iede cafe」を運営。
東京大学卒で「良いい大学を出てますよ」・昨日のブログ参照
既に何冊か本も出されてますが、何となく今回の本が
表紙的にも、まともな気がするのは偏見?
文中に、「がーん」とか「がびーん」とか表現が出てきて
中々の親しみが持てそうな、32歳のお坊さんです。
「顧客戦略」DVDで、「第3章・感謝は態度で示せ」、
その「感謝の心を育てる」の途中で、
(分かりやすく、内容に若干の加工をしてます)
・「感謝」と書くのが感謝ではない。
自分の事ばかりを言ったり書いたり撮ったりして、
最後に「感謝しかない」と締める人がいるが、
これは本当の意味での感謝ではない。
そのことと通じるような内容が、最近何度も精読している
「考えない練習/小池龍之介・著」に、
「現代日本に蔓延する“ありがとう病”は心を歪ませる」
と。。。(「関心空間」でも紹介されてます)
−−その一部を抜粋すると−−−−−−−−−−−−
「ありがとう」と思ってもいないのに「ありがとう」と思う
のは、嘘をついていますから、心が歪むだけです。
こうした自己洗脳の状態にはまってしまって、心の込もって
いない「ありがとう」を連発すればするほど、周りの人には
「この人は特に感謝していなくても、とにかくありがとうと
言う人なんだ」と思われてしまうことでしょう。
経典の中には、ブッダが弟子たちに「ありがとう」と
感謝している記述は(たぶん)ありません。それと同様に、
謝っている記述も見当たりません。
感謝の気持ちを相手にきちんと伝えるには、単に
「ありがとう」と言うのではなく、感謝の言葉の
バリエーションを増やすと伝わりやすくなります。
「ありがとう」という言葉を使わずに感謝の意を伝える
工夫を凝らすと、先方にも気持ちが伝わりやすくなります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
なお、この本には脳研究者・池谷裕二氏との対談も収録。
しかも、この小池龍之介氏は山口県の正現寺副住職、
東京都世田谷区の月読寺住職として修行を積む現役僧侶。
お寺とカフェの機能を兼ね備えた「iede cafe」を運営。
東京大学卒で「良いい大学を出てますよ」・昨日のブログ参照
既に何冊か本も出されてますが、何となく今回の本が
表紙的にも、まともな気がするのは偏見?
文中に、「がーん」とか「がびーん」とか表現が出てきて
中々の親しみが持てそうな、32歳のお坊さんです。
コメント
コメント一覧 (2)
某福祉施設の代表者(50歳代)で、誰に対しても「先生」と呼んでいる人がいました。「私以外、みんなが先生」という理念(?)らしく、20歳代の平職員であった私も「先生」でした。
しかし、彼は、セクハラ事件を起こして、この世界から永久追放状態になっています。
>「ありがとう」と思ってもいないのに「ありがとう」と思うのは、嘘をついていますから、心が歪むだけです。
・・なるほど。彼は、心にもないことばかり口にしていて、ストレスがたまり、それが暴発したのかもしれません。
本心かどうかがポイントなんでしょうね。
それと、口にすることで自己洗脳出来なかったのであれば、
それすら素直に認めないと・・・
なお、ご存じとは思いますが、「ありがとう(有り難う)」は
「有る」ことは「難しい」ことなので、「滅多にない」
出来事、そう易々と「ありがとう」を言えば言うほど
その言霊の価値が薄まるんでしょうね。